« オーチャードロードの禁煙区域、4月1日から違反者は即罰金に シンガポール | トップページ | 職員が179万円を横領 JA伊勢、昨夏懲戒解雇 »

ホームで喫煙OK、駅前は放置自転車だらけ…平成初期の鉄道事情を振り返る

ホームで喫煙OK、駅前は放置自転車だらけ…平成初期の鉄道事情を振り返る

https://diamond.jp/articles/-/198396

2019.4.1

平成の30年間で、駅や電車内の環境は大きく変わった。バブル期には、地下鉄ですらホームでたばこを吸えて駅前は放置自転車だらけ、冷房なしの車両も運行しており、おまけに駅員も乗務員もほぼ全員男性というのが、鉄道のスタンダードであった。(鉄道ジャーナリスト 枝久保達也)

今の比じゃなかった
地獄の鉄道ラッシュ

 華やかなバブルの時代にも、疲れたサラリーマンを乗せた電車は走っていた。空前の好景気を受けて都市活動は活発化し、鉄道利用者は急増、1992年頃にピークを迎えた。象徴的な車両として、混雑時には座席を格納して全員が立って乗るという6ドア車両が山手線に登場したのが1990年のことである(2011年に廃止)。翌1991年に、山手線は10両編成から11両編成に増強されている。

 絶え間ない輸送力増強の結果、鉄道の混雑率は1970年代以降一貫して改善傾向にあったが、バブル期に限っては足踏みか、東武伊勢崎線や西武池袋線など混雑率が悪化した路線もあったほどだ。そもそも当時の混雑は今よりもはるかに激しく、例えば1990年のJR中央線快速のピーク1時間の平均混雑率は255%(2017年は184%)、JR東海道線は240%(同187%)、東急東横線は204%(同168%)である。

 一方、駅や車内の環境は、民営化で生まれ変わったJRを筆頭に、輸送一辺倒の時代からサービス重視の時代に向けて変わりつつあったが、この頃はまだ昭和の風景がそのまま残る地域も少なくなかった。平成の30年間で通勤環境がどれだけ変化したのか、1990年の東京にタイムスリップして、当時の鉄道風景を振り返ってみよう。

 まず路線図を開いてみる。埼京線や京葉線は開通済みでJRの路線網はおおよそ完成しているが、湘南新宿ラインや上野東京ラインといった直通運転は始まっていないので、乗り換えが何度も必要だ。東急新玉川線や目蒲線など懐かしい路線名もある。

 地下鉄は南北線が7号線、大江戸線が12号線という名称で工事中。半蔵門線は1990年11月にようやく水天宮前まで開業したばかりだ。平成の30年間に建設された地下鉄は、現在の総延長の3割近い約84キロにも及ぶ。

 駅に向かうと、駅前の路上や歩道、店舗前に鈴なりになったような違法駐輪の自転車が目立ってくる。この頃、通行の妨げや事故の原因にもなるとして社会問題だったのが「放置自転車」だ。1994年に成立した「自転車法」で自治体や鉄道事業者に駐輪場の整備を促すとともに、放置自転車の撤去や処分の権限を制定したことで改善が進み、都内の放置自転車数は1990年の約25万台から2017年は3万台以下と劇的に減少した。

駅ではタバコ吸い放題!
首都圏は有人改札が主流だった

 自転車をかき分けて駅に入り、切符を買おう。ICカードは、まだ研究所の中にしか存在しない。1990年の初乗り運賃はJRが120円(山手線内)、営団地下鉄が120円、東急電鉄が80円。今の運賃水準からすると、地下鉄と私鉄は随分安い。JR東日本は、1987年の発足時点には割高だったが、消費税導入・増税を除いては値上げしておらず、今ではJR東日本は133円、東京メトロは165円、東急は124円(いずれもIC運賃)と、運賃格差は小さくなっている。

 改札口はまだ有人が主流だ。駅員に切符を手渡し、ハサミ(改札鋏)で切ってもらって入場する。乗客に切符を持たせたままハサミを入れる横着な駅員もいた。1970年代から自動改札機の導入が進んだ関西に対し、相互直通運転など路線ネットワークが複雑な首都圏では自動改札化が遅れていた。

 JR東日本と営団地下鉄は1990年から自動改札機の本格導入を開始、翌1991年には自動改札機に直接投入できる「イオカード」「NSメトロカード」が登場、さらに10年後の2001年にはICカード乗車券「Suica」が誕生するなど、一足飛びに進化を遂げていった。

 改札を抜けてホームに向かうと、たばこを吸う男性の姿が目に入る。JRがホームを「分煙」して喫煙所を設置したのは1993年のこと。地下鉄ですら1987年までは喫煙可能で、ホーム上に灰皿が設置されていた(ラッシュ時は禁煙タイム)。当時の成人男性喫煙率は60%。1960年代のようにほぼ全員が喫煙者という時代では既になかったが、生活の中に当然のようにたばこが存在している時代だった。

 ホームに到着した地下鉄直通の車両に乗り込もう。発車メロディーはJRの新宿駅、渋谷駅で試験的に導入が始まったばかり。ブザーか、車掌の笛を合図にドアを閉める路線が多かった。

冷房車両を選んで乗車した時代
駅員も乗務員も男ばかりだった

 1990年頃、首都圏のJR・私鉄は90%以上が冷房化されていたが、まだ冷房化が完了していなかったのが地下鉄だ。営団地下鉄は冷房装置の排熱がトンネル内の温度を上昇させるとして、トンネル自体を冷やす「トンネル冷房」を推進していたが、1988年から車両冷房化に踏み切り、1990年でようやく30%に達したばかりだった。

 夏場になれば、次に来るのは冷房の付いている車両か、そうでないかは重大な問題だ。直通運転を行っている路線だと、地下鉄が保有する車両は整備途上だが、私鉄が保有する車両は冷房化が完了している場合もあり、私鉄の車両が運用されるダイヤを選んで利用する人もいた。

 当時と現在の鉄道風景を比較しての最大の違いは、女性駅員、女性乗務員の存在かもしれない。1985年に男女雇用機会均等法が成立するが、労働基準法が女子保護規定により深夜労働や泊まり勤務を禁じており、何よりも「鉄道は男の職場だ」という意識が強かったため採用が進まなかった。

 1997年に労働基準法、男女雇用機会均等法が改正されると、鉄道現業でも女性の採用が加速した。職場設備の改善も進み、現在では首都圏鉄道各社の採用数の3~4割を女性が占めるまでになった。山手線の車掌も4割が女性だという。

 変わらないようでいて、すっかり様変わりした鉄道風景。最後に改札前の伝言板に「30年後で待ってる」と書いて、1990年を後にしよう。

|

« オーチャードロードの禁煙区域、4月1日から違反者は即罰金に シンガポール | トップページ | 職員が179万円を横領 JA伊勢、昨夏懲戒解雇 »

たばこ対策」カテゴリの記事